アタマの中の「やることリスト」は実現しない
デイリーログを見返す。
今日やることは4つだった。
そのうち1つは、11日にやることにしたので消しておく。
よく考えたらこの4つ以外にもやろうと思ったことはたくさんあった。
けれどやれていない。
「今日やること」には書かれていないことだが、
やろうと思ったことがたくさんあった。
では、なぜ「今日やること」には書かれていないのか。
書くこともなく書いてないのではなく、
勿論、確固たる意志で書くまいと思っていたわけでもなく、
書こうと思っていたが、書く時間がなかったとか
なんとなく書くのを忘れていたとか、そういう特に理由が無い状態の上で、「今日やること」から漏れて行く。
今日は外出する予定があった。
やらなくてはいけないことの一つだ。
無事用事を済ませて帰ってきて、食事をとり、今日やらなくてはいけない、書類を作ったら、あとはもう、なにもしたくなくなってきてしまった。
幸い、「今日やること」はまあまあ終わっている。
ただし、書かれていることは。
書いていないけれど、やらなくてはいけないなあと思っていたことは、まあいいか、疲れてるし、これはやったし…。こういう気分になっていた。
実際、書かれている「今日やること」は終わっているのだ。
書かれていないけれどやった方がいい、やりたかったことは、「別に良く」なってしまうのだ。手帳に書くと願いが叶うだとか、願い事リストを作るとか、そういう話はあるが、「書かないことは、書いてないのだからやらなくてもいい」みたいな思考も確実にある用だ。
月曜(この場合、休み明けだ)になったら確実にやらなかったことを後悔することがわかっているというのに。
書こう。
やりたいなあと思ったことを。
全部やれなくてもいい。
やりたかったけれど、「書いてないからまあいいや」となってしまわないように。
今夜、わたしも日曜にやりたいことを一生懸命書き出そうと思う。