何か欲しいと思った時のエネルギーを考える
モノが欲しくなる気持ちはふとした時に発生する。
欲しいモノリストは作ってはいないが、欲しいモノが発生したときの日記(ほぼ日/バレットジャーナル)はそれはもう熱っぽい文章が綴られる。
先日ブログにも書いたが、荷物を減らすために小さい財布が欲しかった。
最近は、よく眠るための抱き枕が欲しいと思った。
一年くらい前から、iPad ProとApple Pencilが欲しいと思っている。
モノが欲しいと思い、それを手に入る前の感情というか、パワーは凄まじい。
持っている人のブログ記事、レビューを探し、使い心地、モノを手に入れて使ってどうだったか、価格比較、ネットストアの写真と、買った人が撮影した写真を比較するなど、あらゆる情報をネットで探し出す。
それが終わると、自分がそれを手にしたときのことを妄想し始める。
もうアタマの中では、8割手に入ったのと同じ気持ちになるのだ。
ほぼ自分のモノだ。
そうなるとますます手元にないのがおかしいと思い、予算を確認する。
手に入れなくても今の生活は続くが、手に入れた方が、素晴らしい世界になる気がするのだ。
そして、買わない理由と、買う理由(欲しいという感情に押し上げられてちょっと理論的じゃない理由)を戦わせて、更にインドア派の人間が実物を現地まで見に行ってしまうようなエネルギーを生み出す。
こうなったときのわたしは、ミニマリストなどどこ吹く風だ。
部屋が片付いていなくても、とにかくお目当てのモノのことが気になる。
検索するものだから、web広告が全部関連広告にすり替わり、いやでも思い出すことになる。
使ったことのない路線を使い、
詳しくない駅で降り、
GPSを使って店まで行く。
そこに新しい景色があり、目当てのモノ以外にもさまざまなモノが並ぶ。
新しい発見があり、以前あきらめた、物欲を鎮めたモノよりも、もっと使い勝手の良いものを見つけたり、全く異なるジャンルで都合がいい場所にある良い店を見つけたりする。
ことの発端は欲しいモノを手に入れたい!という物欲だが、そこから行動を起こさせるエネルギーが生まれ、遠出が嫌いで面倒くさがりのインドア人間が1万歩も歩き通すほどの気持ちを起こさせるのだ。
モノを減らすのとは別の観点で、欲しい!と思う感情は悪いことばかりではないように思えてならない。手に入れたモノと向かい合い、どう付き合っていくかは必要だが、カラダが食事をしてエネルギーがなければ活動ができないように、ココロも何らかのエネルギーがなければ、面倒くさい、と動きが鈍くなっていく。
やることはあるのにやる気が出ないというのは、よくあることだろう。わたしもそうだ。だけれど、欲しいモノを追う時のわたしは、結構アグレッシブでエネルギッシュだ。これをコントロールして、やる気を出して行きたい。
かといって、やる気を出すためにいちいちモノを買ってはお金がいくらあっても足りない。欲しいモノを手に入れる前の状態を長く続けていられれば、エネルギーが生まれ続けるのではないだろうか。
欲しいモノがある。
けれど、買わない。
ああ、欲しい。絶対欲しい。
この飢えたような感情が、感覚を研ぎ澄まさせ、もっといいモノはないか、この、今欲しいモノを忘れさせてくれるような、もっといいモノはないか。…とアンテナが張る。
そしてたまに、本当に、実際に、欲しかったモノよりもっといいモノが見つかり、すっと手に入ったりもする。
そうして飛び込んできたモノとのその後の生活は、エネルギーが長く定着する感覚がある。スピリチュアルな表現が続いて恐縮だが、本当に自分がいいと思ったモノ、好きなモノと出会う時は、こんな感じなのかなと思う。
……つまり、良い感じのコインケース買いました。(にこやかな顔で)