欲しいものを買わずにただ想い続ける
好きなモノ、欲しいモノを見つけた。
小さな、革のコインケースだ。
買えない額ではないし、財布の中には買えるだけの現金もある。
今月は大きな買い物もなさそうだ。
でも。
今使用している長財布はまだまだ使えるし、愛着もあり愛用もしている。長財布は大きいのでバッグが大きく、重たくなりがちだが、それでも今の長財布は愛用している。
けれど。
長財布からコインケースにしたら、荷物が軽くなって良いな、といつも思っていた。
いつからかというと、カバンの中身についてのお題を書いたときからだ。
この記事だった。
かさばる長財布から、使う分だけお金を持ち出すコインケースにした方が、お金の管理もしやすく何よりカバンが軽くなるのでは?と思っていたのだ。
と思いながら日々を過ごしていたら、会社帰りに見つけてしまった。
良い感じのコインケースを。
わたしは買おうか悩んで、まだ踏みとどまっている。
「そのコインケースは国産で、手作りだ。」
「あのコインケースが売れてしまってもう手に入らなかったらどうしよう。」
「いや、家にがま口の小銭入れがある。あれがあるんだから新しく買う必要はない。」
「いやいやあのがま口は薬入れに使うのだ。小銭入れにはしない。だからコインケースは必要だ。」
「コインケースはカードが入らない。長財布のままの方が便利だ。」
「クレジットカードを使わないようにするのではなかったか?コインケースの方が節約できる。」
「生活用品を買うために立ち寄ったお店のポイントカードが無いと面倒だし勿体ない。カードが持ち歩ける長財布のままでいるべきだ。」
「そもそもポイントカード自体が買わせようとする店の作戦だ。コインケースのみ持って出歩けば、余計なものを買わないだろう。」
etc...
コインケースを買った場合と買わない場合を繰り返し考えている。
この状態がとても楽しいのだ。
今回のコインケースに限らず、欲しいものができたときはとても考える。
手帳もそうだった。
アクセサリーなどもそうだ。
悩み過ぎて買い時を逃したことも多々ある。
逃した時に絶望するかというと、その時は悔しいけれど、買い時を逃して手に入らなかったものは、大体はもうどうってことはない。(どうしても欲しかったものはネットショップを隅々まで調べて執念で手に入れたことはある。大体お気に入りだ。NBの限定スニーカーとか。)
欲しいものができて、それを手に入れたらどうなるかを考えるとき、アタマがめちゃくちゃ回転し、いろんなメリット、デメリット、買おうとする誘惑、踏みとどまる自制との大戦争になるのだが、心はわくわくと活性化する。
ところが、買った瞬間から、買う前よりワクワクしないケースのなんと多いことか。
買うか買うまいかの2つの考えがせめぎ合っていたものが、「買った」という結果を与えられ、鎮まってしまうのだ。
「ついに買った。これで何をしよう。どんな生活を送ろうか。」
そうしてまた考え出せば、ワクワクすることはできるだろうが、買うか、買わないかの葛藤とは少し勢いが違う気がするのだ。
勿論いつまでもお気に入りでいられるモノも多い。NBの限定スニーカーとか。
買わないまま、この、片思いのような情熱をキープしてみるのも面白いかもしれない。もっといいものに出会うかもしれない。そう考えながら、いつまであのコインケースを買わずに我慢できるか、耐久中だ。
ミニマリストたちは、こんなときどう耐えているのだろうか。
毎日店の前を通りかかる。
色はあそこに出てるだけしかないのだろうか?
サイトはあるんだろうか(あった)。
サイトにはあの財布はなかった(売り切れてた?)が、店頭販売のみなのだろうか。
セミオーダーもできるらしい。。
興味を持って、手に入れる前の状態でなら、普段見もしない読みもしないような店のコンセプトや、革職人のこだわりなどを読むのが楽しくなる。
ますます素晴らしい、買わない理由がない商品に思えてくる。
そう繰り返して、3連休の間ガマンし、連休明けの帰り道にまた立ち寄る。
まだあった…!
いやいや、だめだ、長財布はまだ使える…
…………。
……………………。
まだ、
まだ我慢できる。まだ…